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アニスの志を受け継いでレイニに向き合うユフィ。演説も上手い。



「主人公」枠のレイニの力は本作では魔法と説明される。
嫁ぐ気もないとは言え刺青までやりたい放題である。ドラゴンの魔法防御を受け継いで魅了に耐性が出来たという事か?
ティルティの気怠げな美人といった風も珍しく感じて良だが、この「狂える女」も悪役令嬢の一典型なのだろうか。



展開としては少々ついていく行かないの繰り返し感があったか。
アニスは別に「ごめん」などとは言わないのがずるいところ。しかし割とやってる事やばめに描写されているだけにユフィはもう少し怒っても良い。
ラストは殆ど結婚している。



アニスを意識? したり何だかんだで落ち着いてきたユフィ。「私を連れていってください」こういう時意味もなく長考する演出が世に多いが、これはテンポが良くて素晴らしい。
ユフィの両手を重ね握る挙措がモチーフとして描かれている様にも見えるが癖なのだろうか?
コンプレックスを明らかにして功績を求めるアルガルド。回り出す運命の車輪。



暗いカットを挟んでのユフィの「ありがとうございます、素敵な名前です」そこにアニスの両目を開くカットも入る。アニスはそこから説得する様な調子なので、つまり本心では受け入れ難く思っているユフィ、それに気付きどうにか気持ちを伝えたいアニスという場面。台詞でどうこうせずに読ませる演出で良い。エモーショナルな雰囲気ではあるがユフィの心はまだまだ冷たく堅固な様だ。



アニスもだが何しろユフィを可愛く描こうという意志が感じられ良い。
それだけの事で…とは言っているが小さい頃の記憶が挟まれているし実際はそこも動機なのか?



やはり女性主人公だと婚約破棄というフォーマットになるのか。
現代的口調は主人公特有なのかと思いきやモブも「もうほんとそれですわ」などと喋る。
アルガルドのリベラルな思考は姉の影響なのか、しかしその姉に向ける視線はなかなか厳しい。
ティルティの恰好は古典的ではなく現代に生きる魔女のイメージを感じさせて良い。
走り出すガールミーツガールの予感が爽やかな第1話。



ローの恰好良いところがあまりなかったのが残念。しかし魔力を全て捧げたという事は魔術/法を使わずに戦うのか?
演出的にはキャラを可愛く描きつつもプロット的には主人公を推す形なので少々観方が難しい。
あとアバンのは今回の話とは関係ないのか?

EDがTRiNITYじゃんという話だが、歌うまでやってる訳ではないのに何でこんな高音域の大変そうな曲なのかという素朴な疑問がある。



OPのサウンドがまるで10年前かの如き風合いである。
魔術が高等技術で魔法が普及版という世界設定。『乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル』という作品があるが丁度逆となっている。(他作品でも色々とこの手の差別化がある。)
ローはベアトリス(リゼロ)がロリータ控えめで親しみやすくなっているみたいな印象。ホルトはオタクに優しいギャルといった風だがなかなか現代を感じる属性濃度を誇っている。
魔の陣営は差別を受けていてなかなか背景が暗い。しかし獣人が元は贄の動物という話を踏まえるとクドーの尾の扱いは割と気を遣う様に思うが…とんでもないギャグを入れている。
次はローの活躍が観られるのか?



全体
とても良い

「やりたいこと最優先!」の台詞とは裏腹に様々な柵が千束を襲い、結局望まぬ生を与えられる。第12話の時点で「このまま他人が吉松を殺ったら煮え切らない感じになるよな」など思っていたが、実際そうなってみるとそれでも出来る事をする、千束の生き様が美しく、単に肯定するというのではないプロットでなかなか面白い作品だった。
たきなも可愛かったが深度というか物語性としてはダブル主人公というほどの感じではなかったかな。むしろミカと吉松の関係がここまで鮮明に描かれるとは思わなかった。



とても良い

千束と真島の戦いは特に熱くぶつかり合う訳でもなく、千束が付き合ってあげる様な形。決着としても特に勝者はいない。どちらかというとミカと吉松の方がエモーショナルに見える。
そしてその吉松も別に思想が断罪される訳ではなく、「狂わされた」と言っている様にむしろ千束に拘ったが故という形なのだ。第1話の語りといいこの回の真島と言い、一見思想的でありながらむしろそれを空洞化するプロットがなかなか興味深い。(まぁ「良い人同士が殴り合う」という相対主義が優勢に描かれていると言えばそうかもしれない)
ある意味この物語の結末もそうした流れになっている。千束は吉松の代わりになど生きられないし、他人にそうさせ(られ)たくもない。千束ははっきりと表明するが、それでもミカはそうするのだ。
ミカが泣きながら、「狂わされたな」と吉松を撃ち、望まぬ心臓移植を受けさせる、それも本当に「自分の信じた良い事」だろうか? 少なくとも千束の思う「良い事」とは大分乖離しているはずだ。そして恐らく、それによって生かされた事も千束は気づいている、いや少なくとも目覚めた時にはそう思ったはずだ。(「こりゃ死ぬな」などと言ってはいるが、手術痕があった訳だし。)「何しようか、これから」というのこそが本音の様に思われる。これは思うままに生きる物語ではない。それでも何をするのか? 例えば、ハワイへ行く。



とても良い

「私には世界より大切なものがいっぱいあるんだ」
これもまた世界の、「大きな物語」の話ではなく日常の物語なのだ。
昔を思い出す様なたきなの激情が映える。声の演技が素晴らしいAパート。



遂に千束を選ぶ決断をするたきな。
例の合図を認める千束だが、実際にたきなが来て驚いているのを見ると半信半疑だったのだろうか。



DAはより伝統があるから法治国家体制に優越するという訳でやはりガチガチの保守思想なのである。
晴れ着を着て喜ぶ千束はもうすぐ死ぬ人と言った風で切ない。



日常の終わり。
「分かりません」それは望むものが変わり始めている徴だ。しかしまだたきなは使命を全うする事と千束を助ける事の差に自覚的ではない。それ故、別れる二人は華々しいというよりも切ない。

「余分な話」って二人の関係の事…?



「たきなが来た日は桜が咲いてた」「あれから吉さんこないねぇ」たきなの話に繋がるのではなく吉松の方に意識が流れるのが(たきな視点で)寂しい場面である。
収支の改善によりミカがレコードを置いて喜んでいるのが地味に面白い。



徐々に明らかになる千束の出自。「才能を世界に届ける」というのは一致しているがその内容(使命)に合意がある訳ではないのだろうか? 信仰が重要な動機の様ではある。
今回でアラン機関がDA全体と敵対する訳ではないらしき事が見えてきたが、そうすると単に千束に才能を発揮させる為テロリストを誘導している事になる。それは異常すぎるのでもう少し背景がありそうなのだが…?
弱々しいがどこか元気を出そうとはしている「待ってます…」など、普段のトーンが安定している分揺らめく千束の声が印象的。



遂にハッキングを白状する胡桃。今のたきなは怒りはしないが、リコリス襲撃の遠因ともなった訳だから今後の倫理的葛藤は大きいかもしれない。
中間管理職の様な役回りになるロボ太。というか実体を曝したり家凸されたりしているがいいのか?
妙にロードキルが好きな真島。ロケット弾(パンツァーファウストIIIらしい)で吹き飛んでもピンピンしている。(そういえば地下鉄でも悪運がある的な事を言っていた。)



ゴム弾しか携帯していないのかと思ったがちゃんと実弾も持っている千束。アーマー越しに打撃武器の如く銃を撃ってダメージを与えるのが印象的。
この世界ではプロならドローンの対処は基本らしい。特注品だと落とされるのが地味に痛そう。
「この社長は何も知らないんだろうな」前話に書いた件を含めると尚更意味深長。
「すごいだろ」人形の様に利用されたサイボーグの件を経てのこの台詞は強烈だ。そしてそれは「本当だった」と言うたきなへのいわば返歌でもある。



三つ編みの日。
アバンのみはりが睨む場面は今回のラストを勘案すると、単に余裕こいているだけではなくクッキーの粗雑な扱いに対してのものでもあるかもしれない。
「贅沢は言うまい」と言いつつやはり男子流のコミュニケーションを求めるまひろ。



クソむかつく後任の女が出てくるが一話内でぶっとばされるのでまぁ耐えか。
フキも荒っぽいが「どこ中だコラァ」などに付き合ってくれて案外ノリが良い。
やや台詞の真意の読みづらい(というか声の情報量に画の芝居が追い付いていないと言うべきだろうか? 芝居も適当なアニメよりは全然豊かなのだが)千束だが「嬉しい嬉しい!」は純粋な表情に見えて印象的。
前話のゴムを撃つ場面がちゃんとここで回収される。飴も行きとの対比を呼び覚ますモチーフであり、この帰りの場面は特に構成の妙が詰め込まれている。



「急所を撃つのが仕事だったんですけど?」以前の自分を揶揄する様な冗談で、非常に過去の自分を客観視している。前話の意識改革の大きさが表れている場面。
千束の服のセンスが随分独特。「悪人にそんな気持ちにさせられるのはもっとむかつく」悪人を悪と信じてはいない事を滲ませる。「人探し」と言ったのとは裏腹にリコリスとの深い思想的乖離が窺われる。(第1話冒頭で語られる様にリコリスは犯罪者を存在から否定する過激な「悪を憎む」組織である。)たきなは段々とよく笑う様に。
殺しの才能などと言い出すアラン機関。第1話の先生のリアクションはそういう意味か。とは言え銃取引に関わっている件までは知らないだろうし、まだ更なる裏がある組織という事だろう。しかしそういえば胡桃は自分で関与しつつ写真の調査をしていたが、3時間前の取引の方は知らなかったのか? だがそちらの目撃者の追跡にも携わっていた筈だ。調査している振りなのかどうなのか。
銃乱射し爆破もする豪快なテロリスト。実際に走っているところを撃つと跳弾でとんでもない事になる?



全体
とても良い

当時けいおんに激似という件であまり正当に評価されなかった記憶があるが、早期の日常系的な手触りの作品として完成度は非常に高い。ポストアポカリプスというのはマクロなもの(イデオロギーであったり国家であったり)が滅びたという意味でミクロな日常を焦点化でき、後に『少女終末旅行』が出る様に相性が良い。尤も本作は国家が消滅するまでは行っておらず、むしろ戦争の現実との対比で日常の儚い美しさを謳っていると言うべきか。
あとキャラソンの「ねがいごとキミと」が単純に曲として非常に良い。



全体
とても良い

原作があまり刺さらなかったのだが、書店で見かけたPVが良かったので(というかアニメ映画だと知らなかった)鑑賞。
めちゃめちゃに泣いた。キャラクター的でないと全く読みが働かないのだと痛感し恥じ入るばかりである。ただこころの受ける虐めを非常に一貫した主題としている印象があり、原作よりも寄り添いやすい描き方になっている気もする。(原作の細部を覚えている訳ではないので印象論だが。)
まぁ弊害というか、原作だと萌はめちゃくちゃ美少女で目立ちまくり、まさに冒頭で語られるような救いを齎す転校生に合致する一方で、それ故に真田の「政治」にも利用されるという印象だったが、映画だととにかくこころが可愛いので逆転して見えるところもある。アニメ的キャラクターデザインの性か。
思い返してもどこが良かったというのが言い難く、全てがとにかく愛らしかった様に思える。こころの伏し目がちな表情、母親の道を開けて壁に沿う様子、将棋をするマサムネ、ウレシノの「乗り換え」を巡る様々な表情。序盤からそうした芝居が日常描写をそれ自体で楽しめるものとしている。
ヒントの置き方も丁寧で、ストロベリーティーの符合だとかちゃんと見ていれば察せられる様になっている。なお時間については原作だと確かショッピングモールがどうので話が喰い違うという件があったが、映画では記憶を受け取ったこころが気づく形となっている。オオカミ様は「お前次第」と言ったが、戻して欲しくて記憶を見せた様にも思われて切ない場面。
声の演技が実写的だったり、劇伴がやや大袈裟な気がするのは一般向けを意識してだろうか。すぐ慣れるから大した点ではないが。

原作はかなり純文学的で登場人物の容姿(キャラクター性と言えばまずは視覚的記号である)など碌に提示されないのだが、本作はその辺りを見事にアニメ的な読みに応える情報量で強化している。様々な思いやりの姿が描かれた名作である。
しかしこころが可愛かった。終幕後に配布特典のスライドショーがあったが、可愛すぎて妙な衝撃があった。



室崎みよが今時珍しい火力の百合女子である。
みよが「腐れ縁」と補足する場面はその直前の顔を動かす(まひろの方を向く)芝居と連続していて、本作の丁寧な芝居が1カット内の仕事に留まらないことが分かる。その後のもみじが嫉妬して自分のパフェを食べさせるカット、次のみよのカットも多様な表情と一つの表情で対照的ではあるが、どちらも非常に豊かな芝居になっている。

制服がちょっとぶかぶかに見えるがこういうデザインらしい。
着替えの場面など非常に男目線な一方で生理の詐称には釘を刺している。本作がラインをどこに置いているか垣間見える。

変と言うほどではないが、みよが飲み物を貰って飲むあたりはやや横顔の造形が戯画的(手塚漫画的)に見えて気になった。



衆目を集める場面でフラッシュバックイベント(引きこもり主人公作品に特有の挫折イベントである)があるかと思ったが、そこではなく補導員が来るという二段オチ。
美容師やかえでの胸の感触に喜びつつももみじと普通に胸の話をしているのが特に性自認の揺らぎが見えて印象的。
ヘアバンドして洗顔の様に他作品で見られない生活感のある描写が豊富で良い。



「寂しかった」とは言えず「うっさい…ばか」になってしまうのがかわいいところ。そこでみはりが即座に理解する訳ではないのも関係の対等さを感じて良い。(ここでみはりがすぐ「なるほど」という顔をする様だと完全にみはりが上という関係になってしまう。)



ヘラをとんとんするのが特にリアルだがなかなか描かれなくて好きな芝居。
まひろは兄と自認しているがみはりは妹と思っているのが興味深い。



第1部を全部やるのかと思ったがそうではなかった。丁寧で良い。
マキマの声が意外に静か。
リアル調の? 画作りが原作の淡白な画風によるシュール感と似たものを上手く醸し出している様に感じる。
臓器も銃も金次第、勝てばよかろう夢バトル。なんと資本主義的で新自由主義的。ここまでだとまだ判明しないが、チェンソーマンの世界観(設定)は実は悪魔がいるというだけではなくなかなか過激で面白い。デンジの「普通の生活」の水準が徐々に上昇していくのも正に消費社会のイコンである。
マキマの迫力だけでなくコベニの四課っぽさ(まともじゃなさ)がよく描かれてた第9話が特に印象的か。

芝居も細かくはあるが少々演出意図がズレていると感じる部分もある。
例えば岸辺がパワーの上からの槍を受けるシーン(第10話)、原作では視認→刺されない為に破壊、という流れだがアニメでは避けた後に破壊、となっておりやや無駄に見える。
忘れたが他にも気になった箇所があったはず。
とはいえ直後のデンジへの後ろ回し蹴りは原作では突然繰り出されるものの、アニメでは岸辺の前にデンジの影が映るカットがあり、それを見て冷静に対処した事が仄めかされている。
気合が入っている事は間違いないだろう。



気にしてはいたが『戦う姫、働く少女』で扱われていたのをきっかけに視聴。
狼というファンタジーが子育ての困難を効果的に演出している。
雪が非常に社会的に自意識を作っていくのに対して雨がふと狩りに目覚めるのが印象的。
『竜とそばかすの姫』でも思ったが、細田守のSF的感性は止まっていても人間ドラマを描く力は素晴らしいものがある。



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