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全体
良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
普通
音楽
とても良い

一言で表現すると原作がある事で作品をより深掘りできた部分と、原作の枠に縛られてしまった部分が如実に見える映画だった

本作で描かれた「無限列車編」はそもそも別々のテーマ性を持った2つのストーリーが連結されている。それはまるで本作の舞台となる列車を模しているかのよう
列車の大半を占める客車では人々を守る戦いが展開された。その戦いでは元凶の鬼は倒せないが人々を守るという絶対の意志は揺るがずに貫かれる
同様に映画の大半にて描かれるのはどんな状況でも人々を守ろうとする炭治郎の物語。危機的状況であっても鬼の協力をしていた少年少女や車掌を助け、逆にもう助けられない夢の中の家族には背を向けた炭治郎の優しさと強さがこれでもかと描かれている

対して列車の構成の一部である先頭では鬼の首を狙う攻めの戦いが描かれる。その戦いは人助けよりも鬼の討滅が優先される。その場においては夢から覚めるために何度も自分の首を切りつけなければならなかった
同様に映画の最終盤になって描かれるのは自分の身を犠牲にしてでも猗窩座を倒そうとする煉獄杏寿郎の物語

この2つには共通項が無いように見える。でも冒頭でお館様の発言が有る事でこの2つの物語は連結されている
お館様は死がそのまま負けになるわけではなく、想いを引き継ぐことに拠って人は戦っていける、その戦いに意味は生まれると説いている
炭治郎の物語において炭治郎を夢の中に留めず自害という道を何度も選ばせる理由と成るのは既に家族が死んでいるという事実。そして生きていた頃の家族から受け取った思い出が炭治郎の原動力となっている。だから夢の家族の言葉は炭治郎を振り返らせるものにはならない
同様に杏寿郎が鬼の誘いがあっても既に死にかけた身体であっても刃を振るい続けたのは死んだ母の言葉があったから。母から与えられた弱きものを助けるという使命が有る限り杏寿郎は止まらない

お館様の言葉によって連結された2つの物語が最終的に一つになる構成は良いね
猗窩座は逃げ、杏寿郎は死ぬ。それだけを見れば杏寿郎の負けだけど、杏寿郎が言ったように炭治郎が生きている限り杏寿郎は負けていない。そして炭治郎、善逸、伊之助は杏寿郎の意志を受け取る事で新たな戦う力を得ていくのだろうと感じられるラストと成る

けれど、一方でこの映画には幾つかの不満点も見えてしまったことも事実だった
元々が漫画原作である為にどうしたって動的な描写が有りつつも、その動的な流れをぶち切るように台詞での遣り取りが多くなってしまう。本作は漫画的な大枠を変えないまま映像化してしまっている為かテンポの悪さを感じるシーンが多かったように思う
特に炭治郎が夢の世界から脱出しようとする悲痛な覚悟が伊之助や善逸のギャグシーンによって挟まれているのは原作どおりとはいえ何らかのアレンジをして欲しかったかも……。
また、意味合い的には物語が連結されていても最終的な見せ場が杏寿郎の戦いとなっており、更にエンディングイラストでも杏寿郎のみ描かれていては鑑賞後に抱く感想が杏寿郎に関するものがメインになってしまって物語中盤で描かれた炭治郎の悲痛な覚悟の印象が薄れてしまっているようにも感じられた

ただそう思ってしまうのはufotableが作るアニメーションが本当に一つの映画として完成されているだけに、ストーリーラインが原作に縛られているという印象を抱いてしまうからなのだけど
本作は一つの映画として制作されたのではなく、TVシリーズの続きであり、もし存在するならTVシリーズ第二期に繋がる物語。だからか、アニメーションとストーリーのギャップが目立ってしまったように感じられたのは一つの不満ではあった

こうなったら是非ともufotableさんにはTVシリーズ第二期を作って、炭治郎達が杏寿郎から受け取った意志を明確な力として描いて貰わないとね!



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