やはり、のどかだが魔法といった異世界らしい要素によるわくわく感があいまった世界観はとても見心地が良い。
強いて言えば魔法による落雷を是非この超作画で見てみたかったが、雨雲で誤魔化されてしまったのは残念だった。
そして、2話だけなのにロキシーちゃんロスでつらい。
これでロキシーさんとは当面お別れ。
前世が引きこもりのろくでなしだった三十路のニートにとっては外はトラウマ。それを狙ってやっていなかったとはいえ救ってもらえたから印象的。
だが最後のパンツ泥棒で台無しとなった。
エロ漫画的な描写は何だかなー。と個人的に。
けど、作品タイトルが無職転生だからなー。あんまり綺麗に描くのも違うって感じなのかも。で、エロガキだし、ヒキニートおっさんのトラウマと弱い内面が残ってるわけか。
ロキシーは魔術の先生としてよりも、主人公の外に一歩踏み出す心の成長を促してくれた存在として大きいんだなと。
こう丁寧に外への恐怖心が取り除かれていくさまを見ていると、他の転生ものもヒキニートなのにアジャスト早いよな。
ロキシーの成長の旅を邪魔しないよう最後全力出したのかな。
生前の主人公が思ったより気持ち悪くない仕上がりだった。
ホッヒヒ とか言わなそう。
葛藤の解消や出来事が、全体的にさっぱりとした感じで進んでくのは良いと思う。
原作だと、この時点で各人の葛藤や思惑が色々あったんだけど、個人的にはその設定についてはあんまり見どころだと思ってなかったからヨシ。
なろうの原作で出来ていたことが何一つ出来ていないという意味でアニメ業界のレベルの低さがやばい。
主人公の前世の改悪、ロキシーが旅立った理由の改悪、百歩譲って改悪に目をつぶるとしても、改悪以上にこのアニメ単体で見たとき話がまとまっていない。
ロキシーが出ていったのは主人公に教えることがなくなったからじゃなくて、主人公以上にロキシー自身の中で変化があったからじゃん。ロキシーは主人公を水聖級と認めたけど、主人公は混合魔術で水聖級の魔術と同じことを起こしたから、ロキシーの中の魔術認識に驕りを感じて、それで旅立ったのに、一切それを省略して、チンパンジーみたいに意味なく魔法の演出だけ金掛けて、教えることなくなったから消えたみたいな演出してるのがほんま何も理解して無くて笑える。ロキシーが旅立った理由をこんな改悪すると後々の展開が全く繋がらないけど大丈夫なの?
改悪を抜いても主人公のトラウマ、雷雨を起こす魔術、ロキシーの離脱とそれらが全く繋がって無くて、ただ意味なく3つの話をしただけになっている。
物語というものを理解するとか以前に国語の読解からやり直したら?
過去話出てきたね。校門貼り付けとかさすがに先生気がつくと思うけどなぁ。まぁ原作通りではあるけど。
パウロは、最初は基礎トレーニングを重視してたはずだけど、剣つかってたなぁ。原作では、5歳の誕生日の後からだったけど、まぁその方が絵的にわかりやすいし、尺の問題って感じかな。まるっと省くと流石にのちの伏線にも関わるし、パウロが天才肌の感覚派ってのも伝わるしな。
魔力量が増えてきたあたりで、怠け癖がでそうになっても頑張るところが省かれている。
こういう小さいところが省かれていくことによって、その辺の安易なチートものと一緒に感じられてしまうのではないかと心配になる。
あと、師匠呼びのところの「薄汚い魔族の分際で、とか、田舎者のくせに、とか」のあたりがなかった。あのあたり好きなのに。
そういえば、混合魔術の説明なかったな。まぁ右左で別々の魔術はやってたけど、あれも特殊能力だし、混合魔術ではないしなぁ。
杖を渡すところで、師匠は弟子に渡すと原作では言ってるけど、アニメでは弟子ではなく生徒と言っている。原作ではここで苦笑しつつも師匠であろうと受け入れ始める感じですが、アニメではそういう感じではない気がする。
キュムロニンバスの試験内容が少し違う。1時間持たせるって感じだったけど、簡単にしてる、尺の問題だろうか。この辺りは混合魔術や魔法の工夫の問題とも繋がるんだけどなぁ。
終わった後に、ルディが達成感を感じるけど、アニメでは表情で伝えようとしてるけど、弱い。嬉しいことはわかるけど、生前で何もできなかったルディが得られなかった達成感を得られたというのは、感じ取れない。この部分は努力が報われたことがなかった主人公が初めて達成感を感じられたところで非常な重要な部分だとおもうんだけど、なんで省いたんだろう。
ロキシーとの別れのシーンで、原作ではルディの頭に手を置くけど、アニメでは躊躇って手を置かないんだよね、どういう心の動きなんだろう。
見直してみたら、ロキシーが自分の思い上がりを正してもらったというようなニュアンスの言葉を発してない。
原作では、キュムロニンバスを1時間持たせるところにも繋がるけど、混合魔術や工夫によって聖級以上のこともできることに気が付き自分の未熟さ思いあがりに気がつくが、それらのシーンがないことにより、アニメ世界のロキシーはまだ自分の未熟さを認めきれてないのかもしれない。そのせいで、ルディの頭も撫でてあげられないのかもしれない。旅立ちの理由がロキシーが自分を見つめなおすという要因が低くなっているように思う。のちの展開に影響は与えないんだろうか。
ルディがロキシーを尊敬する理由にしても、パウロでもゼニスでも両親でも兄弟でも誰にも出来なかった外に出すということを行なったということについて説明が足りないように思う。
そうそう、ずーーーーと、ミズセイキュウ魔術師だとおもってたけど、スイセイキュウって発音してるんだよね。
水はまあいいけど、風とか火とかどうするんだろう。フウセイキュウとかカセイキュウとかちょっと変じゃない?
クソニート時代の絵面がほんとまさにクソを表しているよなあ。ご両親は自殺かのか?そして原因がクソニートってことなのかな?そうでなければ追い出されないよな…
ロキシー師匠の年頃な演出もあったりとしっかりエロさも組み込まれていたなあ。この作品からそういうところを省くと主人公の転生感を出しづらいのもあるか