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とても良い

実は野生の象が殷代までは中原にもいたとか。
となると、今の雲南省あたりにこの時代にいてもおかしくない。楚の版図に近い。
王賁も蒙恬も歴史に名を残す将の器。騰の大抜擢は正しい。ココココうけるw
秦軍の抜きん出た強さは騎馬隊の機動力にあったと言われている。なぜなら、あぶみや鞍など馬具が発達していなかった時代に馬の扱いに長けていた北方騎馬民族と国境を接していたので500年の間に彼らの騎馬技術を秦の騎兵が吸収していたからだ。つまり、秦国内には騎馬を扱いが上手い人材が自ずと多い。このアドバンテージは戦において大きかった。
また、威力があって誰でも扱える弩弓を大量生産できたのも秦だと言われている。けど、この回では巨大な弩を魏が使ってきた。ただ、木の杭が石の城壁にそんな深く刺さるとは思えないw
桓齮は秦の統一戦争(函谷関の戦いよりも後、政が完全に実権を掌握してからの戦争)の序盤において大活躍した。が、台頭してきた李牧によって、肥下の戦いで大敗を喫する。因みに、李牧はこの函谷関の戦いでは史記に名前はなく、趙の総大将は龐煖としか記述はない。



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