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とても良い

重盛亡き後は、多くの兵を統率できる将は平家にはいない。
富士川の戦いは緒戦にして滅亡の始まり。
清盛は覇気のある政治の開拓者だったが、下克上的に一門を貴族社会に入り込ませ過ぎたために、平家に武門としての弱体化を招いてしまった。権力の掌握の仕方が、娘を天皇に嫁がせるという古来の藤原氏と同じやり方だったことも、武力を減衰させる一因となった。平氏はかつては瀬戸内から太宰府に至る西国に勢力基盤を持ち、清盛は海賊をも力で従え、日宋貿易で莫大な富を得た。が、都で権力基盤を築くに連れ、西国との連携が弱くなった。
清盛は京のしがらみを断つべく福原遷都を行ったが、人心が着いて来ず、益々平家の孤立を招いた。
平氏の台頭と滅亡によって、公家と武家の相容れなさがより明確になり、朝廷と距離を置く鎌倉幕府の成立に反映されたとも言える。
物の怪に悩まされる清盛と、戦を恐れる維盛を見て、びわはその瞳で何を感じ取っているだろう。
上皇の御子(後の安徳天皇)が波の音で泣くのも、後の悲劇を暗示していて、いたわしくこそあれ。
軍記物としての平家物語には、仏教的無常感と滅びの美学があると思う。



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