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アニメでgleeやっちゃうってのは素晴らしいなと。こういう飛び道具使えるダンディーはいい。



絵ヂカラ強し。お話し的にもショートショート感が強くてよかった。



ロケットパンチ。あいかわらず珍妙なカタクラフトを送ってくる火星のみなさん。ようやく火星の封建システムの解説。この戦争は秀吉の出兵的な意味合いなのか。で、加持さんのドラマを気持ち悪くさせ続けてるのはなんでだぜ?



水島新司がドカベンのネームで岩鬼が三振するシーンを描いたのに、ペンを入れたら岩鬼がホームランを打ってしまった、という逸話がある。面白いキャラクターは話の駒であることからするりと抜けて独りでに動き出す。長手、海苔夫、小林がだんだんと自由を持って動き始める感じが出ている。



映画にしろ小説にしろ、テーマを描くこととは "繰り返し" である。が、シドニアのこの繰り返しはブラフであり、壮大な釣りとも言える。



原作では飲まない約束だったじゃないですか…!! どうしてくれるんですかこれ…!!!!!



シドニア自体がギミックになる回。うまさがある。



キャラクター説明のためのお膳立ての章というか。世界観がゆっくり明かされていくのもいい。





人物も3Dであることに最初はなれなかったがだんだん受け入れられるように。イザナ君いい感じ。アクションも良い。



リアルタイムで視聴。よい、けどピンポンはピンポン以上でもピンポン以下でもないんだなと思いました。



物語がどちらに転んだとしても、良い未来は見えない。それでも行動を起こすのだ、という現代的な「最善」を受け止める回。ただ泣ける、ただ癒しになってしまうのは少なくとも富野ガンダムではあり得ない。が、歴史の向こう側のキャラクター達に癒しや供養は必要だったのかもしれない。それがUCの中核なのだ。少なくともマリーダさんには幸せになってほしい、と思う時点でガンダムではないのかも。



バンシィが大暴れして楽しいだけの回。マリーダさんがブチギレてバンシィの腕でデルタプラスをお釈迦にする件は最高。一方で「アクシズ・ショック」というキーワードが登場し逆シャアの影響がようやく描かれる。サイコフレームをどう扱うか、やりすぎるとどっちらけになって難しいところなのだが。



「可能性に殺されるぞ」という決定的なセリフが登場した、UCの方向性を具体的に示す回。行動を起こさないこと、問題に対して回答を示さないことが悪であると言う。が、この回では行動を起こしたが故の絶望のみが描かれる。「出てこなければやられなかった」のに。コミットしないことは許されない。コミットしても問題は起こる。ならば、正しいコミットのしかたとは何か?ともかくMSV的な懐古厨歓喜な展開にオヤジ達が喜んだのは事実。



episode 2でほんの僅かながら感じ取られたシャアとフルフロンタルとの差はここで歴然となる。あのシャアの "甘さ" はここにはない。彼を変えてしまうだけの絶望をアクシズの戦いが与えたとも取れるし、ならばむしろ変われたことそれは彼にとっての幸福であるかもしれない。アムロが「革命を起こすインテリ」とくさしたシャアの姿は消え、残ったのは徹底的な現実主義者だ。どちらにしろ諸君らが愛したシャアは死んだ、何故だ?と言えば「坊やだから」ということになるだろう。



ガンダムとはアムロとシャアのストーリーである。それ以上でもそれ以下でもない、と少なくともオヤジ達は考えているだろう。物語の中でアムロは大人になった。シャアは変わらなかった。そう仮面を被ろうがサングラスをかけようがシャアは変わらなかった。そしてフルフロンタルという男がここにいる。道化と割り切り雄々しく民衆を導いたあのシャアが蘇る。が、首元に変化がある。年齢は首元に出るというが、それにしても…というわけだ。



少年がガンダムと出会う、それは宇宙世紀における儀式であり、呪縛である。UCは宇宙世紀設定の矛盾や問題を解消し、逆襲のシャアとF91の間を埋め宇宙世紀を持続させる存在だ。宇宙世紀の歴史の持続とは結局「ガンダムがつく連邦が勝利し、連邦の腐敗が続く」ループを支持することであるが、連邦の暗部である「ラプラスの箱」というマジックアイテムで宇宙存続の存続と呪いとの断絶、というウルトラCを実現するつもりなのかもしれない。主人公バナージは戦う。戦うことは変わらない現実を維持することだ。それでも僅かな世界の変容を信じることを示すのが彼の役割なのだろう。



AパートとBパート、本来なら逆の順番であるはずの物を逆転させることでくだらない話に修正している。めちゃイケ的なオチのつけ方…だけどこのアニメはオトさない。ちょっとガマンし過ぎじゃないの?って気もしますがどうですか皆さん。



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