サポーター

ぷーざ
@pooza

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全体
良い
映像
良い
キャラクター
良い
ストーリー
普通
音楽
良い

2回目視聴。以下ネタバレあり。

物語の最後に和解した以上、敵キャラの気持ちもわかりたい。悪事を行っていたとしても、動機や行動原理に「一理ある」部分を見つけたい。
常々そう思ってプリキュアを観ているけど、敵キャラであるケット・シーの気持ちは視聴2回目でもよくわからなかった。

大人の科学者たちが、ケット・シーを騙していたことがほのめかされている。
しかしこんなことで、「大人」という格別に大きな主語で善悪の線引きをされてしまったら、その大人のひとりとしてはたまったものではない。ケット・シーの言う大人・子供(つまりは善悪の境界)は、曖昧にしか明かされなかったこのエピソード同様のふわふわしたものだった。
エナジー妖精たちは子供。マリちゃんは大人。ゆいたちは中学生だから子供。プリキュアは最初は不明(△)だったが、ケット・シーに敵対する行動を取ったことによって、最後には大人の側に分類された。ケット・シーが自分に都合の良い基準で「大人」を線引きしていたことは、この悪役への共感が難しいことにつながる。

一方のプリキュアたちも、その時点ではまだ自分たちに危害を加えていなかった警備ロボットと戦う為にプリキュアに変身した。
本作全体の善悪観がふわふわしていたと感じる。

本編での扱いに関わらず、ED曲はドリーミアのテーマソングだった。ドリーミアの本質は、最終的には善であったと扱われていた様だ。
コメコメも気付いていた通り、ケット・シーが用意したお子様ランチやアトラクションが子供たちを楽しませていたことは確かで、なるほどそれは、ケット・シーに残されたわずかな善性だったことは間違いないのだろう。
だからこそ彼は、自身の罪の償いについて「コメコメのようなヒーローに自分もなりたい」と言うのではなく、「大人も子供も楽しもう」と言わなければいけなかった。大人と子供の垣根なく、皆がドリーミアを楽しむラストシーンが最後に必要だったと思う。

そう、「大人も子供も、お子様ランチを食べてもいい」。
なごみ亭に集まった皆に、ゆいママがお子様ランチを振る舞うラストシーン。この償いは本当はケット・シーがしなければいけなかったことだけど、その代わりとして、まぁ悪くない。
初見の時に感じた程は、この作品のストーリーは悪くないなと2回目に思い直した次第。

最後に冒頭、ゆいとケット・シーがお子様ランチを食べる回想等について。
このシーンのゆい、ケット・シーに向けた満面の笑顔は素晴らしい。デパプリは初回冒頭、ゆいがおにぎりを食べるシーンも印象的なものだったけど、このキャラクターには人を惹きつける絵ぢからが確かにあると感じる。
ゆいとコメコメは、彼が今もお子様ランチを作り続けていることから、上で述べた様な「わずかな善性」を見つけ出た。ケット・シーの気持ちは今回もよくわからなかったけど、一方のゆいやコメコメの気持ちは尊いものだった。



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